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2016/11/03(木) 00:15

大残酷と名付けられたカルトな映画なのに、美しいメロディー

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続いて映画の話ではない。音楽の話だ。バンド時代には頭のおかしな曲ばかりやっていたのにも関わらず中学生の頃までは、映画音楽が好きだった。
とくにこの「ヤコペッティの大残酷」のテーマソングやら「ひまわり」やら「いそしぎ」やらメロディーラインの美しい曲がお気に入りだったのである。


当時はメロディーのない曲は音楽ではないとまで思っていたが、それが徐々にプログレやら民族音楽やらJAZZやらに触れて変わっていく。
徐々に育まえていくその志向性は、いうなればマイノリティー嗜好。メジャーなものよりマイナーなものに中に価値を見つけ出しては一人ほくそ笑むというのが、密かな楽しみであった。
当然のことながら、そんな趣味嗜好に同調する友人など居ない。
変なものが好きな変人としてあつかわれる。
その割には、まったく普通であった(と、思う)生活からの逃避を夢想していた。自分の弱さみたいなものをどうやってひっくり返すか?考えていた。
集団における存在の肯定は、個にとっては一大事である。
特に若いときにはそういった自己肯定が必要なのであるが、競争することが嫌いであれば独自性に逃げ込むしかない。
アンビバレンツな存在、ボーダーラインにある存在、それらを肯定できるのであれば、競争など必要なくなる。
そんな思考を元に私の嗜好は変容していく。
大残酷と名付けられたカルトな映画なのに、美しいメロディー。その対比には今でも魅力を感じる。

 

読む 890 回読まれました 最終修正日 2016/11/03(木) 00:19
浅川 浩二

自己紹介が難しい。あまりに色んな事をやりすぎてアイデンティティーが希薄になってしまった。何が出来るの?って聞かれると答えに窮する。ただ言えるのは、「友だちになれば便利な人だよ」という感じかな。

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