密書を運ぶ飛脚、落ち延びていく武士たち、その家族。行倒れる者。

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 密書を運ぶ飛脚、落ち延びていく武士たち、その家族。行倒れる者。凍るような雨の夜や、霧の朝もあっただろう。一体何人の人がここを通ったのか。かつての街道すじにそのかすかな気配が残っている。

 歴史にきざまれなかった多くの人々の足跡が,今、夜の底を走るぼくらの想像力をかきたてる。ぼくらはどういうわけでこの人たちとこんなことをやることになってしまったんだろう。巡り合わせこそ不思議だ。

 ひたひたと石を打つぼくらの足音。やがて少し開けたところにでてR-5は終わる。

 B-6は松下自転車隊長。20km。生真面目な男だが100km近いライディングを日常的にこなしている。しかしこの長丁場で車両運転をしつつライダーチームの調整と自ら夜間走行は初めての経験だろう。

 Art-plexの初代事務担当でもう15年ものあいだ担当をはずれ課がかわっても関わりが続いている。服をきているとわからないが足の筋肉が発達して4wdの自動車かボンレスハムのようだ。数年前急に痩せたときがあったので「病気か」と思ったがその頃自転車を始めたのだろう。松下修二郎は改造人間であった。仮面はかぶっていない。で竹田市役所あたりまで。

 夜明け前は最も闇が深いという。B-7、ワインディングの厳しい坂。R-1のランでぶっちぎりを見せた森部長が自転車で再登場。

 ハイエースのヘッドライトが孤独なライダーの背中を照らし闇に浮かび上がらせている。道の駅すごう、まで。ときに微妙に蛇行する森。苦しいだろう。

 心で応援しつつ見守る。(森の車載していた走行記録装置によると脈拍は平均135(分あたり)、で後半に向かってしりあがりに数値があがっていっていた)15km。暗く長い夜のトンネルを月とともに走る。戦う50代、森は見事なプレイをみせる。そして青紫の明け方まであと少し。

 夜明け、阿蘇から熊本市中心部へ、そして普賢の海へ

 渾身のちからを振り絞り、みごと役目を果たしたB-8ファイティングフィフティーズ森部長から再び松下改造ライダー長により九州のへそ、阿蘇カルデラ内へ、すでに大分県はあとにし、熊本県にはいっている。17km。空に明るさが見えてくる。松下はつりがちな足で滝室坂を一気にダウンヒルし、一宮坂梨公民館まで飛ばした。芯の強さが現れていた。

 R-9で再び桑本が阿蘇神社までの3km。いつもにこやかなので苦しくても笑っているように見える。ゴールした桑本は荒い息を吐きつつも冷え込む朝の空気に湯気をあげてたっていた。

 ここまでは夜を徹して走り続けてきた「佐賀関組」ががんばった。長かった夜。そのトンネルはもう終わる。

 B-10はライダー部隊の秘密兵器光安。リレーでのカンフル剤、フル装備の光安は只者ではない雰囲気を漂わせている。ここにきて夜は完全にあけた。

 阿蘇。内牧。青白い夜明け。阿蘇にすんでいるバイクトライアルのプロ,ナオがしばらく一緒に走ることになっていた。2002年のArt-plexの初期から大道芸に出演を続けていたNaoは昨年脳梗塞で倒れた。自分のショップ内で倒れたが気力で道まで這いずり出て救援を求めた。

 今回復しているが阿蘇を通るならNaoを参加させなければならなかった。この数年、地震、洪水、などで度重なる打撃を阿蘇は受けている。ここで頑張り続けるnaoをArt-plexの面々は気にしていた。

 Naoは朝の光の中でトライアル車をひいてやってきた。普通に挨拶するが実はとてもよろこんでくれていたようだ。

 今回の速度におけるKEYは自転車だ。江戸時代にはなかったアスファルトの道とこの乗り物が移動時間を短縮してくれる。走りは急な山道では短く設定しトレイルラン、ゆるい長い坂道、まちなかでの集団でのセクションはそれに適した走法、と道具と手段である程度合理的に配置してある。

 陽が昇って来た。朝の阿蘇は特別美しい。Naoと光安の縦列走。阿蘇神社からバイクショップNaoまでの走りをおえ、Naoのショップで少し休憩。応援のレッドブルをもらってわれわれはリレーにもどる。がんばれNao。

 ハイエースに乗り込むさいベンツをのぞくとナベ渡辺の顔色が悪い。木彫りの人形のようになっている。