風の勢いが増してきた。右いっぱいに白波の海原がひろがっている。

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 風の勢いが増してきた。右いっぱいに白波の海原がひろがっている。そこにバウが向こうとする。

「左にいきましょう」拡声器でマドさんから指示。声が風に吹き消される。左に行ければとっくにいっている。その転進ポイントが島原外港に近過ぎればそこから出てくる何百トンものフェリーを回避行動させなければならなくなる可能性がある。視認されなくても危険。

 舷側の野口に説明をしようと思うがこの波風の音では聞こえまい。何かが激しく燃焼するジェットのような風の音で聴覚の半分は奪われている。複雑なセンテンスは拡声器でも意味をなさない。

「左にはいけん!!!」とだけ叫ぶ。頭を回す瞬間があぶない。後ろを振り向くことはできない。とにかく漕ぎ続ける、ちらりと左後ろをみると心配そうな野口の顔。黒縁メガネに風に吹き乱れる髪。

 怖い夢をみていておふくろがでてくるが心配そうにみてるだけで何もやってくれない。そんな感じ。ここはぼくが漕ぎ続けるしかない。目標上陸地点はこの場合もう二次的段階にレベルを落とす。当初の予定にピンポイントではなくムリなく上陸できる地点を選択しそこからプラスαのセクションR-16を設定すればいい。目標とそこにたどり着く方法は可変式でいい、でないと無理をする。

 あと数キロのところでさらに風が強くなる。右は荒れたエリア。水深がやや浅くそこに風が吹き込んでいるのだ。地形の影響もあり波同士がぶつかってあらたな波を作り出してこちらへ向かってくる。ほぼ白波。うず。複雑なやや迷走する波。

 右に小さい島が連続するところがあったがそこに入り込めれば島の裏にはいってとりあえずの安全確保はできるだろう。しかしそこまでは危険な白波が覆ったフィールドを横切る必要が有った。そこは避けたい。必死にぼくは耐えて姿勢維持と針路コントロール、前進を続けた。他に方法はない。持ってるものは全部出している。左側、南に向かうチャンスをうかがう。どれくらいたったろう、おそらく数分。

 ある瞬間イケルと思ったので左に転進をこころみる。うまくいった。海岸から34kmくらいのところか。フェリーの入港、出港も今は気配がない。

 そこから追い波、追い風。で南下。フェザークラフトのKHATSALANOは終始素晴らしい性能を発揮してくれていた。フレキシブルに波を受け止め船体でいなし、たわんでやり過ごし、水面にはりついてしなやかな生き物のような動きをした。これはアルミの骨格をもったいわば海の哺乳類の構造をもった船なのだ。北の海で生きる工夫としての最も古いデザイン。その遺伝子がここに生きている。

 獣骨や木の枝がアルミに、動物の皮革が化学製品に変わっているだけだ。追い波はいやなものだがこれもうまく柔らかい船体がいなしてくれているようだ。

「青灯台をめざせ」とマドさんから指示。

 サングラスに潮がかかり乾いてよく見えない。がまだサングラスを外す余裕がない。胸のポケットにいれた軽食をとることもできないし、休憩もする気がない。日没が迫ってくるはずだからだ。太陽はいま低い雲に隠れ普賢岳の巨大な裾野に光のドレープをかけている。

 日没までそんなに時間はない。荒れる海、スゴい光景だ。もう4時間漕ぎ続けている。ぼくは一度もパドリングを休めていない。メンタル的にも体力的にもかなり消耗しているはずだ。左手の平が軽いツリ。

 上陸可能地点は水無川河口を第一候補に複数事前の調査で押さえていたが結局スカウティングが島原側からはできていなかった。地図や写真でわかったつもりでも海上からは「見え方」が違う。復興アリーナは南下するぼくの前方だいたいあのへんだ。しかし上陸地点はまだ明確ではない。右にあがれそうな候補地をさがす。とにかく南下前進。

 波と風の音にかき消されつつ、「復興アリーナはあれです!」と野口の声。それは大体わかる。「ヤシノキのごたっとに向かってください!!」陸上の佐藤ナビ長からの連絡があったのだろう。「どの椰子の木??!!!」何本かある。

「あっちです!!」と指差すがぼくのいる低い位置では野口がどこを指差しているのかはわからないのだ。前進。

 しばらくして2、3kmほど向こう、高い堤防の上でなにかを振り回している人を視認。強烈な風がふいているようだ。チームのだれかだ。あれだー、ぼくはそちらへ向かった。ここで背後の剛哲丸はぼくとカヤックから離れ少し沖合を回り島原復興アリーナの南にある枯木漁港へむかった。ありがとうをいう時間はない。