人影が浜にいくつか。

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 人影が浜にいくつか。やはりフェリーで先回りしていたTKRチーム本隊の連中だ。

 ナビ長ケイがArt-plexの黒いフラッグを風に負けじと掲げている。周辺を観察、波が次々と打ち寄せているが高さはない。危険物もなさそうだ。砂地。よし。岩場を過ぎ、あと数十メートル。右にバウを回してアプローチ、危険物はないか再度確認。よせ波がボクとカヤックを岸に送り込んでくれてついに砂浜に接岸。

 思いがけない人物がそこにいた。そのとき水中のぼくに最初に接近してきたのは腰までくるウェーダーをきた清水さん。島原の歯医者さんだ。

 事前に「いきますよ」とだけ伝えておいたのだがなんにもいわずにしっかり準備して待っていてくれた。絶え間なく吹き付ける風と岸浪の中、上陸。ぼくはスターン(艇尾)のラダーを収納しそこなったまま浅い海に転がりでた。

 水中に膝をつく。立ち上がると、びゃおうと風がくる。そこは長崎島原の大地であった。ついにたどり着いたのだ。「もう漕がなくていいんだ」と僕は思った。

 強風の中みあげた防波堤のうえには池田マッキーとゴリ中村。剛哲丸船上の野口からの指示でゴリ中村が強風で飛ばされそうになりつつシャツを振り回してくれていたのだ。胸に込み上げるものが有る。

 数名でカヤックを安全なところまで。バイクに乗った人物が堤防の上にいた。イナゴ団のブラック石塚だ。やはりきてくれていた。

 北風が吹きつのる夕暮れのグラウンド。渡辺が密書をもち、池田マッキー、ぼくの3人で龍馬像まで走る。あとからみんながついてくる。強風があってあっというまに低体温症になりそうだ。途中でマッキーにも密書を持ってもらう。この計画のスタートは彼女がくれた1枚の資料からはじまった。それには簡単に海舟と龍馬の使節団が辿った道と日付が書いてあった。それがぼくらをインスパイアした。

 夕闇の迫ってくるグラウンド、普賢岳にかかる雲間からもれる後光を背に龍馬像は立っていた。それは思っていたより何倍も大きかった。自分が来た道、僕らがきた方向。東のかなたをみている。

 近所の漁港で剛哲丸からおりた森、野口を拾いにいったハイエースがもどってきて野口、森がおりてきた。ゴリが運転をしている。着替え。剛哲丸はいちはやく塩屋への帰途についたらしい。安全に帰港してくれればいいが。

 龍馬像前にみなで座って、海水で少し濡れてしまった密書を読みあげた。180kmをわたってきた4枚の原稿。それは勝海舟からのメッセージだった。

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勝海舟からの手紙/略。

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 最後のセンテンスを読みおえ、顔を上げて手紙にあったセリフ「一同大儀であった」を繰り返すと皆が明るく笑った。ややあって自然な拍手。誰に対してか。笑い声も拍手も北風に吹き散らされていく夕暮れのグラウンド。太陽は普賢岳の向こうに落ちていった。長い1日が終わるのだ。

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 とにかく温泉にはいりたいというきもちがあったがとりあえずみなには旅館にむかってもらい、カヤックの分解撤収。カヤックのところにもどったら石塚がカヤックを見ていてくれた。ブラック石塚と清水のふたりが暗くなって来たグランドで風が吹きすさぶなか手伝ってくれる。かじかんだ手、疲労で思考能力がおとろえた今のボクでは分解に手間取る。

 がバイクのヘッドライト照明や手元の明かりをくれ、あったかい飲料をくれる。有り難い。

 なんとか分解をおえてバッグへ全てを収納。石塚とはそこでお別れ。やつはバイクで帰っていった。すばやい行動だ。ケイナビ長がハイエースでもどってきてくれたのでそれにカヤックのバッグを積み込む。旅館へ。

 目標、目的を達成できたことはうれしい。かけがえがない経験だ。なおかつ、それをチームや周囲のひとびとで共有できるということはほんとうに最高のできごとだ。

 やらない理由、できない理由はいくつもあげられる、が結局は行動が最も雄弁だ。行動によってあるいは傷つく、場合によっては死ぬこともあるだろう。しかしそうやって人は生きている。文化とは行動の様式のことなのだ。それに準じて人は生きたり死んだりする部分が有る。机上の論や理屈、言葉、損得の問題だけではそんなことは起きない。出来事未満のこと。

 旅館「海望閣」は島原外港への斜面に立っていた。温泉にはいる。湯に浸かると暗い窓の向こうにさきほどまでの荒れた波のトンネルが見えるようだ。