マッチョは強そうだが実は内臓が冷えやすい。厳しい自然環境においては脂肪が頼りなのだ。予備エネルギーであり、断熱材、内臓を保護するもの。脂肪を悪の根源であるかのように扱う現代社会に疑問を呈したい。
あるときはそれと知らずフカ狩りの海をカヤックで天草湯島まで渡ったこともある。湯島の港についたら何十というシュモクザメが港にあがっていて戦慄した。「海の生物百科」など読めば、サメの生息しているところ=世界中の温帯の海、と書いてある。つまりたいていのとこにはいるのである。
ぼくらの住む島原湾、有明海にもいるということだ。食物連鎖が成り立っているということでもあるので豊かな海には居るものだ。と解釈すべきだろう。
一番ひどかったのは熊本市中心部を流れる白川をくだって有明海まで出たときだ。フォールディングカヤックの前にボク、後ろに100kgを軽く越すケイで時折底ズリしつつボラの大群とたわむれたり、蛤とりのおじさんの忠告を聞かず沖へでてしまい、帰りに干潟にとらえられた。
重いカヤックを腿までガタに埋まりながら引きずって地獄の行軍を行った。生きも絶え絶えで上陸したがさすがにケイは倒れ伏してしばらくは泥だらけのまま動けなかった。ぼくは全身泥にまみれて廃棄物処理場まで歩き水を借りた。玄関の植え込みの手入れをしていたおじさんは異様な格好のぼくにおどろきつつも水道の蛇口まで案内してくれた。
ケイのバディ、宇宙猿人ゴリ中村は焚き火によるポップコーン製作のマニアだ。かつてこのルートを歩いたことが有る。ヘヴィデューティな二人が計画に骨格を与えていた。
挨拶を交わし海を渡る装備を詰め込んだパラシュートバッグとパドルを2セット。他をハイエース最後部座席の後ろの隙間に乗せる。その後そのままそこが僕の居室のようになった。
本来フルフラットだと雑魚寝できるのでよかったのだが、手配がつかなかったようだ。このハイエースが移動式運営本部となる。
ランの隊長野口が女忍者畑を伴ってきた。今回のプレイヤー(メッセンジャーとして実際に走る人)の中で唯一女性。全国大会レベルの卓球選手でもある。つづいて自転車隊長松下がロードバイクを3台つめる特殊車両で到着。
壮大な夕陽。港の建物越しに普賢岳の頂上がみえる。
市役所の美野田(通称ミノッチ)もきてTKRのオフィシャルTシャツ、現金を野口に引き渡す。奥さんは臨月で今回彼は付き従うことができないので、ART-PLEX事務局OBの野口が現金出納を行う。
「そろそろいくか」と暮れなずむ夕焼けをバックに出発。
ランの桑本がバスでこちらへ向かっているらしいが集合時間をどうやら間違えているのでこちらからいって拾うことにする。
18:00時出発の予定より早く出たので商工会議所の松平を忘れていた。こちらとは港からの橋の上で「すれ違ったみたいです」とラガーマンの松平は後に語った。やや勇み足といえたがTKR本隊はやる気に満ちていた。
忘れていたのは悪かったが予定どおりにやることが至上ではなく、浮き足立っていたにしてもとにかく前に向かって走ることが重要だった。
今回のタスクは大分佐賀関と有明海をふくめて長崎島原まで180kmの行程を自転車とランとカヤックで1日で走破する。しかも日没までに。
走りのR、自転車のB、を頭文字とした15のセクションは全てSUMOHSの二人によって8月時点で踏査がすんでいる。
大政奉還から150年。勝海舟と坂本龍馬らが153年前に長崎までいったルート。旧道や参勤交代の道。Art-plexの15周年もあるが熊本大分地震発生から1年半、それぞれがいろんな形で打撃を受け、復興への過程は見えて来たがあの体験を本当に精神的には乗り超えたとはまだ思えない。なにかが消化し切れていない。いわば共通のトラウマとなってときにそれが顔を出す。
かすかな揺れにもつい反応し蘇る激震の記憶を再生させてはおののく。次のフェーズに向かってなにかの節目が訪れようとしている。
http://tegoro.biz/news/trans-kyushu-relay-2017/69-2017-12-10-12-22-01.html#sigProIdde8030bf67