序
2017年11月3日の夜中から4日(土曜日)の日没まで17時間。
秋深まる九州の東海岸、大分佐賀関から長崎島原まで180kmを「密書」を背に月夜の旧道を走り、電飾人間と化して自転車で疾走し、忍者のごとく朝日とともに阿蘇外輪山を駆け上がり、はたまた阿蘇を駆け下りて、熊本市中心部をわっせわっせと走り、手漕ぎのカヤックで北風ふきすさぶ有明海を渡った集団がいた。
それは15人のメッセンジャーを中心としたStreet Art-plex KumamotoのTRANS KYUSHU RELAY2017のチームであった。
忘れてしまう前にここにドキュメントを残しておこう。痛快といえば痛快、あほうといえばあほう。快挙といえば快挙。どちらなのか?思えばその答えは密書の中にあった。
東へ、大分佐賀関まで
11月3日(金曜)晴れ
15:20。会議をひとつキャンセルし、下通紅蘭亭を出た。人でさんざめくいつもの三年坂通りをあとにし、カヤックを積んだ古いスバルで熊本市の西、金峰山の向こうにある塩屋漁港へ向かう。いい天気だ。明日も晴れるだろう。車の中でネクタイを外し、チョッキを脱ぐ。やがて見慣れた市街地をぬけ、トンネルを抜けて海岸沿いに走る。
海を望む塩屋漁港へのカーブをくだり信号を左へ。のどかな11月初旬の午後。気温は16度と低めだが有明海に面した港には光が溢れている。堤防に三方を囲まれた港には漁船や海苔舟が停泊し、静かに舳先を上下させていた。
桟橋すぐそばの中村正敏さんの家のまえに車をとめて、カヤックを下ろす。
カナダのフェザークラフト社の貴重な遺産、カサラノだ。諸条件を考えるとこのフネが一番適していた。シーカヤックとしては長めの5.4m、折りたたみできること。
明日の昼出発のためあらかじめおいておく。
家の呼び鈴をおすと中村さんのおくさんじゅんこさんが出てきた、つづいて正敏さん。通称マドさん。剛哲丸の船長。
「きょうだったらよかったなー」いかにも残念そうなマドさん。
「あすはちょっと風でるぞ」
そんな会話をしてカヤックを中村さんの車の横に折りたたみのコットをおきその前後に小さなこれも折り畳み椅子をおいた。あらかじめ組み立てておいたカヤックの中央はコットに、バウとスターンを椅子にのせてカバーをかぶせる。
いつものように普賢岳は20kmの向こうに海を隔ててそびえている。あそこまでいくのか。有明の海、島原湾は普賢の海だ。
熊本新港へ。
長い橋を渡り、港へ降りる。工事中のための臨時駐車場へ。箱形の大型バン運転席に上半身突っ込んでいるのは、わが一味だ。ヒグマが餌を漁っているように見える。何か相談しているらしい。ナビ隊、佐藤ケイとゴリ中村はすでハイエースをレンタルして到着済み。
ヘヴィ級のふたりは今回骨格となるルートを編成した。キーメンである。ヘヴィ級なのでユニット名はSUMOHS.(スモウズズ)
ケイとぼくはここ15年ほどの付き合いでいろいろな野外活動を行っていた。二人乗りのカヤックで球磨川をくだって数回転覆しぼくだけ低体温になりかけたことがある。脂肪の厚いケイは全く平常で歯の根が合わず言葉を発せないぼくに
「葉山さんどうしたんですかあ?」とアザラシのごとく水に遊弋(ゆうよく)しつつ平気の平左だった。