• 096-201-3635

Street Art-plex Kumamoto

TRANS KYUSHU RELAY2017

海舟龍馬記念九州横断リレー/当日実施ドキュメント

 

作:KOHI HAYAMA

 

 

「体力だいじょぶですかー!」と舷側、河内漁協の嶋田さんから声。

 だいじょぶです、と返事。

 こちらからも「船酔いだいじょぶですか?!!!」と尋ねる。

 この波ではそうとう厳しいはずだ。(案の定嶋田さんはのちほど船酔いがひどかったらしい)

 ただしこのかろうじて楽しめる状況も一歩間違うと将棋や碁並べといっしょで気がついたら破局。ということがある。

 たとえばボクひとりでなく他に複数のカヤックがいたら。1艇がころぶ可能性があれば、2艇転ぶ可能性がある。

 そのときのレスキューは漁船では難しい。3艇転べば、、判断が遅ければ行方不明が出る可能性が高くなる。

 カタストロフは複合要素で起きる。チェーンリアクションだ。現実の世界にはブラインドコーナーがいくつもある。特に自然相手の場合大抵の場合王手飛車とり的に3方向くらいで押さえられた時、無理したときに事故になっている。天候、体力、装備、判断、時間という要素がすべてリスクに変わるときがある。

 冒険というのは無謀なことをやることがそうなのではなく、分かれ道において可能性がより残っている方向へリスクヘッジしながら選択していくということだと思う。それはチェスや将棋ににていた。見えない戦略がどこかで進行しているのだ。気がついたら負けている。気がついたらいなくなっている。気がついたら退路が断たれている。そこからのリカバリーはもうできない。

「思ったより風がなかったな」と拡声器でマドさんの声。

 同感だ。

 前進。

「あと8つです!」海苔用のいかだがあと8つということだ。この時期かなり沖合まで養殖のいかだが出ている。

 しばらく比較的おだやかな海を前進。こんな時でも飛ぶ鳥がいる。しかししばらくすると様相が厳しくなって来た。どのくらいたったか「熊本の県境越えました!」嶋田さん。の声。風が強い。白波が右から襲ってくる。波と風は自然エネルギーの本体でカヤックはその境界をいくものだ。この乗り物で海をいくということは地球に直接触ることだ。 カヤックは風が吹いてくる方向に頭を向ける構造になっている。

 この場合右から強烈な風がくるので右にバウ(舳先)がむく。押さえるには

 右にリーンする、左に転回する作用を出すためだ。がこの波では効果は薄いし、危険。右側を多く強く漕ぐ。これはできる。がいつも一定ではかえってあぶない。からだの一部を酷使するのもきつい。パドルを左後方にあてるスターンラダー。これもあり。幸い波が風除けになってくれる。またその斜面を使って一漕ぎ一漕ぎで進行をコントロールできる。

 ラダーを思い切り左にきって右へ頭をふるのに対向する。当て舵。これはできる。ぼくの左足はほぼこのあとずっとラダーのペダルをフルに踏んでいた。

 いくつかの方法を複合させて針路を保持、南西に上陸予定地、島原復興アリーナはあるが、ほぼバウは真西をむいているはずだ。なおかつ前進。パドルからしぶきが顔にとんでくる。口の中は海水でしょっぱい。サングラスを外す余裕もない。後方で波の崩れる音。船首側左のコードに挟んだ密書は無事だ。

 歌を歌う。黙っていると思考が止まりやすい。思考が止まると身体もとまりやすい。「サンタルチア」をがなりつつパドリングを続ける。進行方向右からくる波に注意をそそぐ。ひとつひとつの波が違う。どれも受け止めていかなければならない。

「左にむかっていいですよ、もうちょっと左」の指示が何度か出る。わかっているのでトライするがいかんせん風のエネルギーが強すぎる。

 そのままなんとか耐えながら前進を続ける。ややもすると諫早のほうにバウが向く。

 左数キロをオーシャンアローがいく。これも気になっていた。斜めではなく一気に航路を横断するほうがリスクは少ない。

 航路を横切る途中でトラブったらまずいだろう。どこかで左に方向を変える必要があったが北風がぼくとカヤックの首根っこをがっちりおさえていた。それに波が足払いをかけてくる感じだ。やや暗くなってきた。左前方の普賢に雲、そこから光が差して美しい。こんなときでも美しいと感じるのか。

 

 風の勢いが増してきた。右いっぱいに白波の海原がひろがっている。そこにバウが向こうとする。

「左にいきましょう」拡声器でマドさんから指示。声が風に吹き消される。左に行ければとっくにいっている。その転進ポイントが島原外港に近過ぎればそこから出てくる何百トンものフェリーを回避行動させなければならなくなる可能性がある。視認されなくても危険。

 舷側の野口に説明をしようと思うがこの波風の音では聞こえまい。何かが激しく燃焼するジェットのような風の音で聴覚の半分は奪われている。複雑なセンテンスは拡声器でも意味をなさない。

「左にはいけん!!!」とだけ叫ぶ。頭を回す瞬間があぶない。後ろを振り向くことはできない。とにかく漕ぎ続ける、ちらりと左後ろをみると心配そうな野口の顔。黒縁メガネに風に吹き乱れる髪。

 怖い夢をみていておふくろがでてくるが心配そうにみてるだけで何もやってくれない。そんな感じ。ここはぼくが漕ぎ続けるしかない。目標上陸地点はこの場合もう二次的段階にレベルを落とす。当初の予定にピンポイントではなくムリなく上陸できる地点を選択しそこからプラスαのセクションR-16を設定すればいい。目標とそこにたどり着く方法は可変式でいい、でないと無理をする。

 あと数キロのところでさらに風が強くなる。右は荒れたエリア。水深がやや浅くそこに風が吹き込んでいるのだ。地形の影響もあり波同士がぶつかってあらたな波を作り出してこちらへ向かってくる。ほぼ白波。うず。複雑なやや迷走する波。

 右に小さい島が連続するところがあったがそこに入り込めれば島の裏にはいってとりあえずの安全確保はできるだろう。しかしそこまでは危険な白波が覆ったフィールドを横切る必要が有った。そこは避けたい。必死にぼくは耐えて姿勢維持と針路コントロール、前進を続けた。他に方法はない。持ってるものは全部出している。左側、南に向かうチャンスをうかがう。どれくらいたったろう、おそらく数分。

 ある瞬間イケルと思ったので左に転進をこころみる。うまくいった。海岸から34kmくらいのところか。フェリーの入港、出港も今は気配がない。

 そこから追い波、追い風。で南下。フェザークラフトのKHATSALANOは終始素晴らしい性能を発揮してくれていた。フレキシブルに波を受け止め船体でいなし、たわんでやり過ごし、水面にはりついてしなやかな生き物のような動きをした。これはアルミの骨格をもったいわば海の哺乳類の構造をもった船なのだ。北の海で生きる工夫としての最も古いデザイン。その遺伝子がここに生きている。

 獣骨や木の枝がアルミに、動物の皮革が化学製品に変わっているだけだ。追い波はいやなものだがこれもうまく柔らかい船体がいなしてくれているようだ。

「青灯台をめざせ」とマドさんから指示。

 サングラスに潮がかかり乾いてよく見えない。がまだサングラスを外す余裕がない。胸のポケットにいれた軽食をとることもできないし、休憩もする気がない。日没が迫ってくるはずだからだ。太陽はいま低い雲に隠れ普賢岳の巨大な裾野に光のドレープをかけている。

 日没までそんなに時間はない。荒れる海、スゴい光景だ。もう4時間漕ぎ続けている。ぼくは一度もパドリングを休めていない。メンタル的にも体力的にもかなり消耗しているはずだ。左手の平が軽いツリ。

 上陸可能地点は水無川河口を第一候補に複数事前の調査で押さえていたが結局スカウティングが島原側からはできていなかった。地図や写真でわかったつもりでも海上からは「見え方」が違う。復興アリーナは南下するぼくの前方だいたいあのへんだ。しかし上陸地点はまだ明確ではない。右にあがれそうな候補地をさがす。とにかく南下前進。

 波と風の音にかき消されつつ、「復興アリーナはあれです!」と野口の声。それは大体わかる。「ヤシノキのごたっとに向かってください!!」陸上の佐藤ナビ長からの連絡があったのだろう。「どの椰子の木??!!!」何本かある。

「あっちです!!」と指差すがぼくのいる低い位置では野口がどこを指差しているのかはわからないのだ。前進。

 しばらくして2、3kmほど向こう、高い堤防の上でなにかを振り回している人を視認。強烈な風がふいているようだ。チームのだれかだ。あれだー、ぼくはそちらへ向かった。ここで背後の剛哲丸はぼくとカヤックから離れ少し沖合を回り島原復興アリーナの南にある枯木漁港へむかった。ありがとうをいう時間はない。

 

 人影が浜にいくつか。やはりフェリーで先回りしていたTKRチーム本隊の連中だ。

 ナビ長ケイがArt-plexの黒いフラッグを風に負けじと掲げている。周辺を観察、波が次々と打ち寄せているが高さはない。危険物もなさそうだ。砂地。よし。岩場を過ぎ、あと数十メートル。右にバウを回してアプローチ、危険物はないか再度確認。よせ波がボクとカヤックを岸に送り込んでくれてついに砂浜に接岸。

 思いがけない人物がそこにいた。そのとき水中のぼくに最初に接近してきたのは腰までくるウェーダーをきた清水さん。島原の歯医者さんだ。

 事前に「いきますよ」とだけ伝えておいたのだがなんにもいわずにしっかり準備して待っていてくれた。絶え間なく吹き付ける風と岸浪の中、上陸。ぼくはスターン(艇尾)のラダーを収納しそこなったまま浅い海に転がりでた。

 水中に膝をつく。立ち上がると、びゃおうと風がくる。そこは長崎島原の大地であった。ついにたどり着いたのだ。「もう漕がなくていいんだ」と僕は思った。

 強風の中みあげた防波堤のうえには池田マッキーとゴリ中村。剛哲丸船上の野口からの指示でゴリ中村が強風で飛ばされそうになりつつシャツを振り回してくれていたのだ。胸に込み上げるものが有る。

 数名でカヤックを安全なところまで。バイクに乗った人物が堤防の上にいた。イナゴ団のブラック石塚だ。やはりきてくれていた。

 北風が吹きつのる夕暮れのグラウンド。渡辺が密書をもち、池田マッキー、ぼくの3人で龍馬像まで走る。あとからみんながついてくる。強風があってあっというまに低体温症になりそうだ。途中でマッキーにも密書を持ってもらう。この計画のスタートは彼女がくれた1枚の資料からはじまった。それには簡単に海舟と龍馬の使節団が辿った道と日付が書いてあった。それがぼくらをインスパイアした。

 夕闇の迫ってくるグラウンド、普賢岳にかかる雲間からもれる後光を背に龍馬像は立っていた。それは思っていたより何倍も大きかった。自分が来た道、僕らがきた方向。東のかなたをみている。

 近所の漁港で剛哲丸からおりた森、野口を拾いにいったハイエースがもどってきて野口、森がおりてきた。ゴリが運転をしている。着替え。剛哲丸はいちはやく塩屋への帰途についたらしい。安全に帰港してくれればいいが。

 龍馬像前にみなで座って、海水で少し濡れてしまった密書を読みあげた。180kmをわたってきた4枚の原稿。それは勝海舟からのメッセージだった。

------------------------

勝海舟からの手紙/略。

------------------------

 最後のセンテンスを読みおえ、顔を上げて手紙にあったセリフ「一同大儀であった」を繰り返すと皆が明るく笑った。ややあって自然な拍手。誰に対してか。笑い声も拍手も北風に吹き散らされていく夕暮れのグラウンド。太陽は普賢岳の向こうに落ちていった。長い1日が終わるのだ。

------------------------

 とにかく温泉にはいりたいというきもちがあったがとりあえずみなには旅館にむかってもらい、カヤックの分解撤収。カヤックのところにもどったら石塚がカヤックを見ていてくれた。ブラック石塚と清水のふたりが暗くなって来たグランドで風が吹きすさぶなか手伝ってくれる。かじかんだ手、疲労で思考能力がおとろえた今のボクでは分解に手間取る。

 がバイクのヘッドライト照明や手元の明かりをくれ、あったかい飲料をくれる。有り難い。

 なんとか分解をおえてバッグへ全てを収納。石塚とはそこでお別れ。やつはバイクで帰っていった。すばやい行動だ。ケイナビ長がハイエースでもどってきてくれたのでそれにカヤックのバッグを積み込む。旅館へ。

 目標、目的を達成できたことはうれしい。かけがえがない経験だ。なおかつ、それをチームや周囲のひとびとで共有できるということはほんとうに最高のできごとだ。

 やらない理由、できない理由はいくつもあげられる、が結局は行動が最も雄弁だ。行動によってあるいは傷つく、場合によっては死ぬこともあるだろう。しかしそうやって人は生きている。文化とは行動の様式のことなのだ。それに準じて人は生きたり死んだりする部分が有る。机上の論や理屈、言葉、損得の問題だけではそんなことは起きない。出来事未満のこと。

 旅館「海望閣」は島原外港への斜面に立っていた。温泉にはいる。湯に浸かると暗い窓の向こうにさきほどまでの荒れた波のトンネルが見えるようだ。

 

 あまりにリアルでなおかつ虚構のような海の数時間、絶えず鳴る風の音。白波のアトランダムな行列からぼくは逃れた。記憶に残った映像は周囲がぼやけている。海にいじめられたあと、温かいお湯は本当に有り難かった。

 清水さんにもらったシャンパンなどで乾杯。数度のランと、ライディング、長時間のオペレーションで疲れたのだろう寝落ちしそうな松下。

 みなそれぞれ体力気力を消耗していた。島原ベース側にいた池田マッキーも「夜中じゅうFacebookで追跡していた」ので寝てない。

 東京でリハビリに懸命の努力を続けているArt-plex運営の要、長江も夜中にチェックをいれていた。ほかにも様々なひとが実は見ていてくれた。ありがたい。

 食事の後9時過ぎには寝床へ。自分のイビキでボクが寝られないかもしれないのを気にして同室の森岡は「ちょっとロビーへ」と出て行った。しかしぼくはすぐに眠ってしまったようだ。

 昨日の夕方から移動し続けて30時間ほど過ぎていた。

 翌朝の朝日は見事で、うそのように静かな海が島原外港には広がっていた。先発隊の野口、畑、松下は07:10発の阿蘇丸で熊本へ帰っていった。ぼくはそれを埠頭の先端で見送った。

 埠頭には釣り人が一人。

 3人もこちらをみて手を振っている。長い汽笛を残して去っていく不格好なフェリー。下を見るとぼくが飲んだコーヒーのカップが北風の残りに飛ばされて朝の港に漂っていた。きのうの自分をそこに重ね合わせてみた。いかにも軽い白いそれは朝日に照らされてふらふらと南に流されていった。

     おわり

TKR2017.ドキュメント/主な登場人物

THE SUMOHS
佐藤kei/ナビゲーション長  
ゴリ中村/サブナビ
⚫ヘヴィ級のふたり、緻密な事前の下調べと計算とを実施し計画を現実化した、モバイル運営本部ハイエース前席は「部屋」であった。終始長時間のオペレーションを支えた。超人バロムワンのごとく二人の会話と阿吽の判断が全体を動かす力となっていた。ちゃんこを食わんでだいじょぶかと声もあがったが全部座席には「甘辛からなんからなんでも」購入してあったようだ。
思えば全員買い食いツアーであった。
〜〜〜〜
浅川記録班長
森真一副記録担当
⚫先行してロケハンを行い終始密着して撮影記録を行ったが20時間経過後は疲れのためろれつが回らなくなっていた。職質にでもあったら「ちょっと本署で事情を」となっていただろう。帰りのフェリーでは気絶していたらしい。
吹きっさらしのゆれまくる漁船で懸命に撮影を続けた森は直後風邪をひいた。
〜〜〜〜〜〜〜〜
ナベ渡辺
ベンツ車長
キサッチ喜佐田
⚫深夜、持病の急性炭水化物欠乏症に襲われつつもライダー、ランナーらプレイヤーを搬送し続けた。また夜半森岡のいびきに襲われるなどの苦難に耐えた。ナベ渡辺のデザインした竹製密書入れはあの幻の「モンドセレクション金賞」をとるといわれてる。(ジャンル違いかもしれない)

喜佐田の実況中継はfbにおいて最も視聴率が高かったようだ。そのおかげで
ピューリッツア賞にノミネートされている。R−13において潮永課長より「なんで走らんとや?」といわれ「だってさー、さみーですもーん!!」東京弁混じりの熊本弁であった。
〜〜〜〜〜〜〜〜
改造人間松下修二郎
自転車ライダー隊長/ライダー第6第8メッセンジャー
⚫松下修二郎は改造人間である。足の筋肉がすごい。今回メカニックとしても能力を発揮した。両足つりつつの懸命の走行は太宰治の名作「走れメロス」的な感動を呼び起こした。
〜〜〜〜〜〜〜
パープル野口信太郎
ラン隊長/第5メッセンジャー
⚫ラン部隊を率いて数カ所で活躍、全体を盛り上げた、しかし人気者レディゴーの影をしょって走る悲しい性を知る人は少ない。いかにカメラ受けをよくするかについては他の追随をゆるさない。ラストk-15では漁船剛晢丸から佐藤ナビ長と連絡を取りカヤックを上陸に導いた。
〜〜〜〜〜〜
畑/忍者
女忍者第一メッセンジャー
⚫ランのヒロイン。ゴールに到着するたびになよなよと崩れ落ち見事な演技を見せた。4度のランをこなした。
〜〜〜〜〜〜〜
森岡
第2メッセンジャー
⚫元プロボクサーの不動産屋さん。自転車での走りは非合法すれすれの「森岡式」
でボクサーらしいインファイト型のラッシュを見せた。いびきも勢いがあった。
かっぱえびせんが好きである。
〜〜〜〜〜〜〜〜
カネッシー金城
第3メッセンジャー
⚫見た目がごついが優しい、だから自転車でも合法的な走りをみせたが後半
 そうでもなかった。今回のことで彼の中で何かが弾けるのかもしれない。しょっちゅう何か食べていた。(ような気がする)咀嚼時間が長いようである。
〜〜〜〜〜〜〜〜
桑本
第4、9メッセンジャー/ランナー
⚫本人の知らない間に走るセクションが厳しいところになっていた。会議に参加してないので不可抗力。だが歩幅が小さい走りは夜の山道には最適化されたもので、スピードもあった。苦しい時でも笑顔がなくならない。カップラーメンを深夜のコンビニですする姿は少年のようであった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
森部長
第7メッセンジャー/ランナーライダー
⚫しょっぱなの集合ランであまり意味のない?ぶっちぎりを見せ、女忍者の畑から「早すぎ」とのクレームをゴール後受ける。がその後驚異的な忍耐力と体力で自転車でのライディングをみせた。それにより「ファイティングフィフティーズ」の称号を得た。
〜〜〜〜〜〜
光安
第10メッセンジャー/ライダー
⚫リレー全体のカンフル、ヒットマンとしてハイエースの追いつかない速度で走った。何かドーピングをしているのではないかという噂があったほどでであった。その走りにより「カルデラエクスプレス」の異名をとることになる。
〜〜〜〜〜〜〜
瀬井
第11メッセンジャー/ランナー
⚫4箇所をラン。特に難所であるトレイルランセクション二重峠で人間離れしたスピードで峠を超えた。先祖は伊賀者か甲賀者か。はたまた猿か人間か。ズルはしてないと思われる。
〜〜〜〜〜〜〜
原田
第12メッセンジャー/ライダー
⚫奥さんが綺麗。阿蘇から熊本市内までのロングを華麗に走行。
 陸路ラストの塩屋漁港まですーっと余裕の走りをみせた。
 「57号線のプリンス」という称号を送りたい。
 
〜〜〜〜〜〜〜
潮永課長
第13メッセンジャー/ランナー
⚫事務局長。中心商店街の面々とラン部隊とともに熊本市中心部をパレードランした。Artplexの深い理解者、しばらく離れていたが担当課長になってもどってきた。皆喜んだ、がそこまで偉くなるとは周囲はあまり思っていなかったかもしれない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
南ご隠居/酒販店オーナー
第14メッセンジャー/ライダー
⚫プレイヤー最高齢。しかも事前の履歴申告では「普段ほとんど運動はやっていない」ということで心配の声が上がっていた。が速度は十分だった、いや十分すぎた。
バスを追い越す勢いであった。有明海に突っ込む前に密書をだれかが取り上げた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

葉山(中華料理店経営)
第15メッセンジャー/パドラー/ランナー
⚫ハイエース後部荷室の住人。移動途中はほとんど半眼で寝ていた。
 ゆで卵2個がエネルギー源だった。海上では北風にいじめられ半泣き状態でゴール島原へ到達。あがったあとで低体温症になりかかった。
〜〜〜〜〜〜
池田マッキー
島原ベース担当
⚫最終コーナーでは密書を運搬。島原復興アリーナで本隊迎え入れ段取りを行った。フラメンコダンサー。実は彼女が普賢菩薩だったのかもしれない。
上陸時彼女には後光がさしていた。
〜〜〜〜〜
中村(マド)船長
海上サポート緊急対応
⚫河内で一番のふね「剛晢丸」船長。
 やや波乱含みの展開のなかカヤックを護衛、役割を果たした。
 「海さん出たなら他の漁師はみーんな敵じゃ」という海の男。
〜〜〜〜〜〜〜
嶋田
河内漁協:海上サポート
⚫海上での応援、塩屋でのサポート。
 途中船酔いに悩まされる。何かあれば彼女の連絡で河内漁協がいつでも出動できるようになっていた。(あとでわかった)
〜〜〜〜〜〜〜〜
中川
河内女性の会
⚫塩屋でのおにぎり、赤飯、卵焼きは本当にありがたかった。
 「なんねえらいおおかね」と言いつつきちんと人数分のおにぎりがあった。
さすがである。「河内の母」である。

NAO
ゲストライダー(R−11)
⚫阿蘇在住のプロバイクトライアルライダー
度重なる自然災害にも負けず阿蘇内牧をベースに活躍しているARTPLEXの
レギュラー的プレイヤー。プレイの中では「人を轢くフり」と飛び降りが得意。長距離が苦手。(笑)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ブラック石塚
⚫アウトドア調査組織イナゴ団の団員。
ゴールの島原復興アリーナへ改造HONDA XRで風のようにやってきてカヤックの撤収に手際をみせ、風のように去っていった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ドクトル清水
島原在住の歯科医
⚫ゴール地点へきてくれた。K−15カヤック上陸時の介助が助かった。海舟龍馬使節団上陸地点などの事前情報をくれていた。翌朝フェリー乗り場に見送りにきてくれた。「とにかく感動した」ことをのちに伝えてくれた。
〜〜〜〜〜〜〜〜
松平武士
事務局
⚫3日の集合地点で前倒しに出発した本隊にはぐれあとは行方知れずとなった。
 のちに熊本市細工町近辺でさまよっているところを通行人に保護された。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
美野田敏寛
事務局
⚫身重の奥さんをかかえ本計画の実施にむかって建前と実際のはざまで揺れ動いた、がR13では元気に走った。11/11に女の子が無事生まれた。
名前は「いちこ」でいいのではないか。
〜〜〜〜〜〜〜
スイホー田河
⚫集合する以前に通信が途切れた。最後の通信は「仕事中に腰を痛め途中合流を、、、」であった。こちらも行方不明となったが熊本県山鹿、菊池川中流のほとりでずぶ濡れの状態で発見された。からだに外傷はなく意識もはっきりしていた。
〜〜〜〜〜〜〜