子飼発のランのチームが島崎ベースにはいってきた。野口隊長率いる畑、瀬井の佐賀関組もはいっている。畑は再びなよなよと両膝そろえて地べたに倒れてみせた。ムリもない。4回も走っている。不憫になってきた。
そこからライダー4人で塩屋まで、気の早いご隠居南は「じゃあ」といって出ていった。バイクは複数でのパレードのはずだが。わらわらと後続の松下らがついていく。密書をもった南は停車したバスを抜いて(南式)いく「おーアブナいアブナい」の声がハイエース内で上がる。
あとに続く3台の自転車はパープルのTKRシャツを背に整然とした走りを見せている。紫のTシャツ、パープルインパルスが島崎から地味な井芹川流域、高橋を駆け抜ける。
松下、原田、森らはあの激闘のあとも余力を残し、安定したライディング、南をガードしつつ快走。交通量が多くなってきたため集団走行のTKRバイク団を追い越し塩屋へ先行する。
道の脇の樹木が風で揺れている。海上に風が出ていることが予測される。海が見える場所に出た。案の定沖合に白波がちらちら出ている。
ここまでの行程の重みとここからの行程K-15がぼくに問いかけている。この有明海に広がる風と波をどう思うか?と。普賢という母、阿蘇という父親が生んだこの海は今年最初の北風の通り道に今、なっているのかもしれない。かすかな緊張がぼくの背中に走りはじめた。もしあれが冬型の北風ならぼくの予測は誤りだったことになる。北風は11月のもう少しあとに吹くものと見込んでいたからだ。
初北風と海
11:00時前に塩屋へ到着。
マドさんの家の前にハイエースをとめる。後部ハッチをあげて外に出て中村正敏さん宅の呼び鈴をおす。奥さんのじゅんこさんに続いてマドしゃんが出てきた。第一声。
「(風が)出とるバイ」表情がシブい。潮風と日光にさらされた顔。
きょうで会うのは4度目。マドさんのとる小さなヒイカは茹でたり煮付けにするとすさまじくうまい。白蝦もすごくうまい。
「しらえびはかき揚げが一番」というマドさん。
「どがんするね?」
「中止はなかっだろ?」中止せえとはいわない。
しかし厳しい予測を立てている。漁船は風が強く作業が出来ないので出ていない。いまは海苔の植え付けシーズンらしい。話し合い。漁師の意見は耳を傾けるべきものだ。
とにかく出てみて沖合3KMまでいって判断、ということにする。ここではまだわからないことも多い。岬ひとつまがれば局所気候がある。海の予測は天気予報では概況しかわからない。パドルそのほかの装備を乗せたカヤックを数名で浜まで。窪寺、松平、渡辺ら。
懸念要素だった視程はクリア、普賢はよく見えている。
防波堤ののぼりがバタバタと音を立てる。北西風。沖合は更に強いだろう。しかし今週始めのスカウティング時、台風直後の際に比べればもちろん弱い。なんとか時間の余裕は作れた。それは強力な味方だ。
プレイヤーが必死に走ってくれたことがぼくにとって時間という余力になっている。このリレーは走り終えたランナーライダーはリカバリーに入る仕組みになっていてどこのセクションでもリリーフにはいることができた。人によっては複数のセクションをもっている。
野口は4カ所のラン。自転車とランを両方やった森部長。3度走った畑。ぼくも2箇所ランに参加している。松下も複数個所を走ってくれた。各リーダーのモチベーションが高く、その行動がいい結果を生んでいた。
ナビ隊と先行車両によるプレイヤー搬送,ピックアップ(渡辺NZ)、松下自転車トランスポート兼メカニック車両の動き、無線のおかげで連携と統制がとれていた。絶え間ない移動。すでに佐賀関から11時間、3日発の熊本港からは17時間たっている。ここまで本当によくやってくれた。
やがて南を先頭としたB-14の自転車チーム4台が最後のくだりカーブを曲がって塩屋漁港へはいってきた。陸路はここで終わり。
http://tegoro.biz/news/trans-kyushu-relay-2017/75-2017-12-10-12-55-58.html#sigProId7881d04406