空が広い。緑がかった明るい海。風の音。
埠頭を過ぎ、ノリ筏の間を抜けて行く。右は有明海北部の佐賀沿岸がかすみ、前には優雅な裾野をひろげた雲仙、普賢岳、島原の沿岸。視線を遠くにのばせば天草、湯島も見える。さらに苓北、その向こうは東シナ海。マドさんと剛鉄丸は追随してくるはずだ。
右側前方50mに海鳥、下にスナメリが数頭。中央部の荒れた海をさけややおだやかな海岸よりに集まっているのだろうか。あたりの海域に漁船の影はない。あれているということだ。すでにカヤックの船首は洗い波で常に濡れている状態。
そのまま西へ直進。沖合へ。左から漁船、剛哲丸に似た船影。マドさんが前方に回るつもりなのだろう。ぼくはそのまま直進。風はある、がなんとかなるレベル。剛哲丸がこないので不思議に思いつつ前進。右後方からくる漁船を視認。あれかなとおもいながら前進。
しかし4、50分足らず漕いだ頃、まだ剛哲丸の姿は近所にない。おかしい。
ぼくは狐につままれたような気持ちでこの事態を分析した。
何かが起きたのだ。剛哲丸のスタートを遅らせるようななにか。波にあわせてゆれるカヤック。風の音。
メカのトラブルか。あるいはぼくを視認できない方向へ船を走らせたか。
「これはぼくを捕捉しそこなっているな」という判断が成り立つ時間がすでに経っている。
しばし思案ののちきびすを返す。
ぼくを視認できないということは受け取り情報としては行方不明を想定する、すなわち海上保安庁に連絡ということになり計画は中止という展開。それよりは塩屋にもどって島原にはフェリーでいって温泉でもはいりゃいい。次回につなげよう。塩屋まできただけでも十分じゃないか。
すでに時間は1230時そこからもどって再出発は時間的に追い込まれる。中止の二文字だ。
金峰山にむかってやや気持ちはダウン気味に漕いでいると左から船影やく2kmの距離、剛哲丸だ。
声を限りに叫ぶ。
風の音で聞こえはすまいが。先方でこちらを捕捉した動き。気配があった。
やがて接近。右舷側に記録の森さん。大きく波の中でゆれている。塩屋側に舳先をむけたぼく。数十メートルまで近づいた。
「葉山さーん連絡無しで出ちゃダメですよおおお!」と森さん。大分心配したのだろう。
瞬間。
「はなしはあとっ!!いくぞっ!!!」と声を限りに叫び返してパドルを右にいれ、舵を左にきって転回、きっぱり再び西に180度転針。いまここであやまったり弁解したり説明などしてもしょうがない。
海の上では入り組んだ話は通用しない。今はいくかいかないか。可能性があるほうにいく。できない理由やらない理由はいくらでもある。ぎりぎりまで条件をととのえたらあとはふたつにひとつ。このときなにかがボクの背中を押したのだろう。時間的には今戻った分は許容範囲内だ。ぼくは再び西に向かって漕ぎ始めた。
耳元でなる風の音。走る波の音。進行方向右、諫早方面からの強い風、波。ときおり低速でついてくる剛哲丸のディーゼル音がかきけされる。白波があちこちにあるが風による表層のもので大きなエネルギーをもった外海のそれとはやや違う。光も雲間からみえている。
イケルと判断。右の海面に注意しながら前進。河内漁協の嶋田さんらが舷側から声援をくれる。風もいまのところ強くはならない。
1時間ほど波をいなしながら進んだ。思えばリリーフサポート船つきというのはスポーツとしてみると全然OKだ。当初荒波も楽しい範疇といえた。実行するしないの限界点をもうひとつあげるためにはこれが必要だった。Art-plexには関わっている公的団体も多く、その公的責任の意味合いからも危機管理は入念にやっておくことが必要であった。
日本の社会はこういった冒険的内容をもったものにたいしてはとてもクリティカルで許容範囲が狭い。傾向としてやる前に失敗を予測する。
今回も基本的には止めもしないが勧めもしない。という無言の反応が内外にあった。ご存知のとおり日本の社会の場合母性型の保護する思考、志向があるのでそれが当たり前だ。
アメリカなぞのイケイケな国とはそこが違いだ。幸いいろいろなことが起こり得るstreet ジャングルでの2百数十回の実働で鍛えられたArt-plex実施チームは「単なるハナシ」を現実化していくことが習慣として板についていた。机上の建前からくる理由や理屈で「じゃやめます」と言うはずがなかった。
やれるはずだーと前提して思考を開始するのがわれわれのスタイルなのだ。
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