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2018/06/24(日) 13:22

働き方改革と利己的遺伝子

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阿蘇のどこか 阿蘇のどこか 浅川正二

数十年前に独立してから、仕事の形態に関して組織化しないという方針でやってきた。ま、簡単に言えば会社を作らないで身の丈でやるという方針。

そんな中でも、チームは必要なので、デルタワークスというチームと言うかブランドを作った。やはり一人で全部やるってのには限界がある。

そんな就業のあり方、今ではワークシェアリングとか呼ばれていて、IT業界などではよくあるパターンなのかもしれない。

これまでのフリーランスはあくまで、個人で活動し、クライアント直接ないし、企業の下請けで働くという形が多かっただろう。もし、メンバーが必要ならやはり法人化するというのが一般的で、私のようなやり方は亜流だったと思う。

その実、私も何度か法人化は考えたが、行けるところまで行ってみようという思いもあって未だ法人化していない。

しかし、ながら徐々に時代は変わってきた。

このワークシェアリングにおける、問題は共同作業時の情報の共有にもあったが、ICTツールの発展で、同時進行で共有化が可能となったため、地理的デメリットが大きく低減された。

そこにつけ、それぞれの分野が細分化され、高度化された事もあり、一人だけでできる仕事は減ったとも言える。

更にはAIの台頭もあって、今後も一人でできる単純作業を収益化するのは難しいだろう。

より複雑で高度なものしか収益に繋がらなくなる。

また、ジャンルを特定した、高度な技術を持つものが全国的に活躍できる環境でもあり、そちらを選択したものは先鋭化した仕事を突き詰めるという事となる。

こうなってくると、今後のフリーランス的働き方は二者択一かもしれない。

  1. 何らかのジャンルに特定して高度化した技術を売る
  2. それぞれの専門家を集めたコミュニティー単位で仕事する

実質的にはこれらのハイブリット型も存在するわけだが、重要なのは自分がどちらを優先するのか?という事だ。

そこに意識がないと、やるべきことが分からなかったり、回り道ばかり選んだりする。

さて、昔読んだ本で、社会生物学者が唱え始めたDNA至上主義的な理論。たとえばドーキンスの「利己的遺伝子」という概念。

すごく乱暴に説明すると、「生物は自己保存のために生きているのではなくDNA(遺伝子)を保存し広める為の入れ物でしかない」という考え方だ。

これは当時のダーウィンの進化論に対して「生物が自分の為だけに存在しているのであれば、群れを守るような行為、他者を助ける行為が説明できない。」という観点から、「自己を守るのが第一義ではなく同種の遺伝子を守るために他者のためにも働く様になっている」といった理論だ。

80年台に入った頃、これらの本を読みはじめて衝撃を受けた。

当時はニューエイジサイエンスと呼ばれていたが、これまでの科学の概念を全く覆すような話も多く、SF好きだった自分にとっては、

「ゲッ、SFより現実のほうがSF的じゃん」

などと思った。

この他利を求める仕組みは、仕事の仕方にも影響があるだろう。

元々仕事とは、他者に為にやることであって、その見返りとしてお金がもらえることもあるが、もらえないこともある。よって、自己実現の為に仕事をしていると思っていても、その自己実現というものが何であるか認識していなければ意味がない。

つまりは、自己実現の中には他利、誰かの役に立つという要素が必ず含まれていて、高度な自己満足というものは、他者との関係性がない場合、得られない仕組みになっている。

これは理論とかの問題ではない。

そういった生物としての心理的なプログラムが組み込まれていると考えたほうがいいだろう。

そういったなか、自己の利益と他者の利益は、相反する場合もある。

しかし、このことを意識しつつ両面においてバランスを取らなければ結局はうまくいかない。

ちなみに、確かに私も理屈っぽいタイプだとは思うが、理屈なんて如何様にでも組み立てられる。なぜなら物事自体が多面的だからだ。

よって、その理屈に支配されてしまえば、もっとその深層に存在している私達自身の心のあり方から離れてしまうのだろうなぁと思う。

写真撮影:浅川正二 2007年7月 @阿蘇の何処か

 

読む 1669 回読まれました 最終修正日 2018/06/24(日) 13:33
浅川 浩二

自己紹介が難しい。あまりに色んな事をやりすぎてアイデンティティーが希薄になってしまった。何が出来るの?って聞かれると答えに窮する。ただ言えるのは、「友だちになれば便利な人だよ」という感じかな。